ブックカバー探しの旅

技術書を毎月購入しているが、なかなか読む機会が無い。


 1誌だけ定期的に購入している。昔はLinuxを使うことが多く、どのような新しいソフトが出て、使いこなせる必要があるかどうかを勉強する必要があった。そのためにも最新の動向を知る必要があり、雑誌を購入し始めた。今の仕事は調整ばかりで技術的な部分が少しも無いが、調整の際の判断にも技術的な背景が必要なときがあり、自分である程度判断できるようにするために、今でも読み続けている。
転勤前は車通勤をしており、駐車場に到着してから会社に向かうまでの少しの時間で少しずつ読んでいた。(それこそ一月近くかけて読んでいた)
同じような時間の取り方ができないため、時間の確保の方法を考えていた。
平日は会社に出社する時間を決めており、準備を終えてから出社までの少しの時間を読む時間に充てていたが、その少しの時間が考え事にとられてしまい本を手に取る気力がない日が多く、結局読まない日が多くなってしまった。


 電車の中で読む案は思いついたが、技術書の表紙が見えてしまい、かつ少し古いものを見ているのがちょっと恥ずかしく、ブックカバーを掛けてみることにした。
技術書はB5版で最初はネットで調べたが値段が高かったり、画像だけだとどのような肌触りかわからないため、実店舗に行くことにした。最初は近所の文具店を調べてみたが、見つからず、あきらめかけていたが、たまたま本屋に行くとブックカバーがあるでは無いか。そりゃあ、本屋にブックカバーがあるのは当たり前の話しだ。すぐ気付かない自分の落ち込む。
自宅の近くだと小さい本屋しかなく、良いものが見つからなかった。せっかくだから良いものが欲しくなり、都内の大きな本屋に行くことにした。

 最初の店は東京駅の近くにある大きな本屋。1階の少し下(こういうのを中B1階というのか?)に雑貨屋さんがあり、新幹線グッズ、スターウォーズ、和風のグッズなどコンセプトが良くわからない店内の奥にブックカバーがおいてあった。とりあえず一通り見て次の店へ向かう。
 二店目は、そこから徒歩15分ほどの有楽町駅前の本屋。2階の柱にくくりつけられたブックカバーコーナーがあった。品揃え的には最初の店の方が良いが、だいたい同じような品物だった。ここでB5のブックカバーを購入。

電車内で読むようになった。

Aさんのお話

もう一年前になる。
父の死を前にして、叔父から連絡があった。父の友人に電話をしておいた方が良いとのこと。叔父も自分も思い当たる人が同じで、その人に連絡することになった。その人をAさんとする。
Aさんと父は自衛隊に所属していたときに出会ったようで、よっぽど気があったらしい。同じタイミングで自衛隊を辞め、その後タクシー会社に入社した。子供も同じくらいのタイミングででき、自分とAさんの子供は同じくらいの年齢だ。良く小さい頃にAさんの子供と遊んでいたらしい。
父はタクシー会社を辞め、職を転々としていたが、Aさんは定年まで勤め上げたようだった。
実家で年賀状を探し出し、電話番号を見つけ電話をかける。まず出たのはお婆さんらしき人、Aさんにかわってほしい旨伝えてもなかなか通じない。耳が遠いのとあまりAさんに替わりたく無いようだ。やっと納得してもらい、かわってもらった。
自分が小さい頃、父と同じ会社で働き、同じ社宅に住んでいたため何度も顔を合わしたことがある。
父が会社をやめた後は、社宅を引き払って転居したため、ずっと会っていなかった。会った記憶は無いが、顔も声もおぼえている。
電話をかわってもらい自分から話し始めた。懐かしい思い出話しをしてみたいと思ったが、まずは父の話。
父の病状、現在の状況の話しをしたが、反応が悪い。他人事のレベルの反応しか無い。うん、うん、それからくらいの相づちしか打ってくれない。昔話もしてみようと思ったが、この状況を理解できず、何を話して良いかもわからなくなり、事務的な話しかできないまま電話を切ってしまった。
あれは何だったんだろう。
確か、父が入院したばかりの頃にAさんに連絡に連絡すべきか話しをしたことがあった。父は首を振ったため、連絡はしなかったが、理由まで踏み込むことはできなかった。あのときに聞いておくべきだったのだろうか?父が亡くなった以上、真相はAさんしか知らない。しかし、Aさんに連絡までして聞くのも今となっては難しい。
世の中には知らないことを知らないままにしておくしかないことがある。今回はそのケースだったと言うことだ。
ちなみに、父の葬儀の時にAさんは香典を残していった。ちょっとでも会えれば話しをしたかった。

 

「下級武士の米日記 桑名・柏崎の仕事暮らし」加藤淳子(平凡社新書)

「下級武士の米日記 桑名・柏崎の仕事暮らし」加藤淳子(平凡社新書

 NHKアーカイブスの「幕末転勤物語 ~一五〇年前の家族日記~」に触発されて読んだ本。
 NHKの方は、ドラマ仕立てで桑名から柏崎へ転勤した武士の生活に注目した内容となっていたが、こちらの本は桑名、柏崎のそれぞれの下級武士の仕事、病など多岐にわたり比較、解説を行っておりなかなか読み応えがあった。

 この本は、江戸時代に書かれた桑名日記、柏崎日記の内容を追ったものである。この日記は交換日記のようなもので、桑名日記は父側が書き上げた日記であり、柏崎日記はもともと桑名で一緒にいた息子が柏崎に転勤して書いたものである。桑名、柏崎のそれぞれの仕事、生活、家族に関する情報を交換しており、江戸時代を知る一級の資料である。

 

1.取り立てに関するせめぎ合い
 江戸時代は米中心に動いている。柏崎側の息子(勝之助)側は主に年貢の取り立てを行っている。年貢の取り立てにもいくつかもの手続きがあり、簡単にはいかない。藩としてはできるだけ収入を大きくしたいため、取り立て量を多く見積もる。しかし、米が不作となるときは村側が減免を希望してくる。
 村側が減免を訴えても藩としては簡単にそのまま願いを受けるわけにはいかない。まずは実測を行って、決めることになるが、藩としては減収につながることはあまり、急いで行いたくない。ここでせめぎ合いが発生する。
 この話は逆の展開もあり、豊作の時は実測して増収を図りたいが、村側はそれを拒否したこともある。江戸時代でもこのようなことがあり、間に挟まれている勝之助のため息が聞こえてきそうである。

 

2.江戸への出張
 柏崎から江戸の出張をしているが、たまたま水野忠邦失脚のタイミングと重なっており、忠邦の屋敷にまで見学に行っている。昔から野次馬はいたのだろうけど売り物まで出ているのはなかなか興味深かった。

 

3.お見舞米の運送
 勝之助は、地震被害が発生した松代藩に対してお見舞米を運搬する業務にも携わった。これは米の運搬をする業務だが、この時代だと米を運搬するだけも大事業になる。実際に運搬する前に事前に経路に関する調整、米の保管の調整などを行っていく。調整事項は大変だが、運搬の際に米の量が減ることを見越して、多めに運搬することまで調整していることには驚いた。
 

仕事とは作業を進めていくことも必要であるが、調整を行っていくことも重要であり、これが下級武士の仕事であることが興味深い。この本を読み進めていくと技術的な差は大きくあるが、現代の仕事(調整)とあまり違わないことにびっくりされられる。

「きみは赤ちゃん」川上未映子(文春文庫)

 「乳と卵」で芥川賞を受賞した著者の出産、子育てに奮闘する姿を描いたエッセイ。
 去年世界クッキーを読んだ後からエッセイつながりでこの本を読みたかったけど、なかなか手を出せずにおり、今回の文庫化を機に手に取ってみた。
 妻が出産・育児エッセイマンガを読んでいてそれを借りて読んで、「私たちは繁殖している(内田春菊)」、「ママはテンパリスト東村アキコ)」をよく読んでいた。
 とにかく子供を産むのは大変なのだけれど、初めての経験だと真剣にやってはいてもどうしても面白おかしい体験があり、またはっと考えされられる出来事がある。
 マンガだと面白おかしい部分が先行しているが、この本では母としての考えが前面に出ている部分があり、考えされる場面が多かった。
 特に「なんとか誕生」の最後でひとの存在から息子のことを考えている部分の下り、「人生は悲しくてつらいことのほうが多い」というのは印象深く残った。自分のこれまでの人生を考えても悲しくてつらいことの方が多く、なかなか楽しめる機会が無かった。仕事も悩みに悩んで答えを出してもそれがうまくいかないこともある。あまり深く考えずにやったことが後で大問題となったこともある。どれだけ長く働いても報われない。こつこつ積み重ねていくしか無い。
 自分の子供にも同じような思いをさせるのであれば本当は生まれてこなかった方が良かったのかもしれない。しかし、大変なことがあったとしても、生まれてこないことより生まれてきた方が良かったと思えるようになってもらいたい。自分の子供にもそのような考えを持っている。

 後半の髪の毛の話で、思い出した話があった。
 3~4歳くらいだった娘をお風呂に入って、髪の毛を洗っていたところ、書かれているような「うっすらとした墨汁が吸い込まれていく」経験をしたことがあった。これは娘が日中にハサミで髪の毛を切ったらしく、髪を洗った際に一気に抜けて手に髪がわっさり残った。普段驚いてもなかなか声に出すことは無いが、このときばかりは「あー!」って声を出してしまった。エッセイでは母の髪の毛の話だが、なぜか思い出してしまった。

 それにしてもやっぱり出産・育児の実録本は面白い。今後もいろいろな人の経験を読んでいきたいと心から思う。あと、この本の中で「乳と卵」に言及しており、良く謝罪をしていた。お詫びしながら、小説と現実の違いを説明し、もしかしたら巧妙な宣伝かもしれないけども、読みたくなってしまった。今度買ってみよう。

 

「ショーシャンクの空に」

ショーシャンクの空に

妻と結婚して半年ほどたった頃、仕事の山場を越えてあまり忙しくない時期がありました。
夜、妻と2人でDVDを借りてきて映画を見ることにしました。
自分はあまり映画に詳しくない人間で主に妻が選んだものを2人で見ることにしました。最初に選んだのがこの「ショーシャンクの空に」でした。

この映画は裁判の法廷のシーンから始まります。主人公はとある銀行の副頭取、殺人の容疑がかけられています。
判決が下り、刑務所へ収監されます。そこから彼の戦いが始まります。最初は暴力の危険、彼は銀行時代の経験、知識を元に刑務官に取り入り、味方につけ危険を回避しました。
刑務所というのはとにかく閉鎖的であり、何をするにも窮屈です。
彼は希望を持ち、困難に対して知識と行動力で乗り越えていきます。
また、彼は持ち前の粘り強さで刑務所の中に大きな図書室を作りました。刑務官に恩を売り、仲間たちにビールを振る舞うことで仲間を増やしていきます。

とにかく長い期間刑務所に入っていると、刑務所の中と外を分け隔てている塀に頼ってしまうようになります。
ブルックスは刑務所に50年以上もはいってます。やはり50年もはいってしまうと外界に対する希望を失ってしまいます。外に出た後に社会に適合できませんでした。
主人公は希望を持つことが重要だと言い、レッドは希望を持たないことが重要だという意見です。レッドはブルックスを見て希望を持つことをやめてしまったかもしれません。

この見方は自分の仕事に対する見方にも通じてくるような気がします。
仕事に希望を持つかどうか、持つことと持たないことでモチベーションや生産性に違いがあるかもしれません。
ちなみに自分は希望を持たない派です。レッドの方です。なるべくなら淡々と仕事を終わらせていきたい系です。

次は違う点からこの映画を見てみましょう。
この映画には印象に残る一人の俳優がいます。レッド。モーガンフリーマンです。
彼は調達屋として、刑務所の外から主人公の必要とするものを渡したりしますが、それと同時に主人公と深いつながりを持ちます。なんと言っても彼の落ち着いたたたずまい、声、仕草が主人公の相棒としての存在感を際立たせます。

この後の話は実際に映画を見てみた方が良いでしょう。
最後にこの映画は音声を英語で、字幕付きの方がレッドの落ち着いた声を聞くことができるので、是非字幕で見ましょう。

 

 

予想通りに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 ダン・アリエリー(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

完全に合理的な人はいるのだろうか?
すべて正しい判断をする人はいるのだろうか?

著者は行動経済学を研究している大学の教授。行動経済学の研究の道に進んだのは18歳の時の大ケガがきっかけだった。大ケガの回復までに数年かかり、退院後に入った大学の講義からとのこと。

行動経済学とはウィキペディアによると経済学の研究手法で、心理学や社会学の成果を経済学の数学に取り入れることで従来の経済学の枠組みを広げている。

不合理な選択を行う場面を研究内容とともに紹介している。例えば、雑誌(エコノミスト)の購入画面の選択肢からそれぞれの項目の相対性に着目して人間の判断が選択肢そのものを元に選んでしまっていること気付く。
本来であれば、自分の必要なものから選択することが合理的であるのに、選択肢によって自分にとって必要無いものを選択してしまう。

さらには自分自らウェイターとなってビールを提供し、一つの事実に対して知識と経験のどちらが先に来ることで先の行動に影響が発生するのか調査を行っている。

また、無料の魔力をアマゾンの配送料の設定から解説し、先延ばしの仕方を大学の授業の課題締め切りの設定から解説している。
これらを読み進めていくと人間の判断の合理性を疑うことが多くなる。より低きに流れていくことがわかる。

この本を読み進めていくと自分の生活を見直ししてみたくなる。
自分も頭の中ではわかっていてもどうしても行動が伴わないことがある。これが行動経済学なのだろうか?

 

 

 

 

「福岡・中洲 真夜中の保育園」ドキュメント72時間

 福岡の中州には午前2時まで開園している保育園がある。
 番組では保育園での多種の家族、多様な場面が描き出されている。とある新聞記者夫婦には嫌々期の娘がおり、夫が単身赴任中。妻は一人で育てなくてはいけないという気持ちの元、子供と向き合っている。しかし、夫は金曜日に帰ってきて、夫婦そろって迎えに来てくれる。週末は家族みんなで過ごすのだろう。
 父子家庭は、お父さんが頑張っているのはわかるが、お弁当を作るのが苦手なのかちょっと残念な感じが出てしまった。しかし、自分が同じ立場だったときにお弁当を作ることができるのか非常に不安になる。
 遠足に行くときにお母さんがキャラ弁を一生懸命作ってきたが、お昼の時にはばらばらに崩れ、落ち込む子供。母はその話を保育士さんから聞き次回への決意を述べる。
 特に印象に残っているのは、お母さんとの別れ際に子供がワンワン泣いているのだが、お母さんがいなくなったとたん泣き止む。保育士さんはそんなもんだとの回答をしているところ。自分が少し泣きそうになったのに落ちがあって、その"泣き"を返してほしかった。
自分はどうだったのだろうかと考えてしまう。
恋愛がうまくいかず、一人で生きていく決心をしたことがある。母親の死とその葬儀の中で、家族を持つことの重要さに気づき、その後の幸運もあり、結婚・子育てをすることができた。自分としては精一杯やってきたつもりであるが、ここに出てくる家族のようにできていただだろうか、非常に考えさせされる番組であった。