自分で作成した電子書籍を複数のKindleで読みたいとき

 自分で電子書籍を作って携帯のKindleKindle Paperwhite端末で同期をとりたいときにPDF化して端末に配信したくなるが、それだとしおりの同期がされない。

 電子書籍がどんな形式にもよるが、例えばWordだったときに、PDFに変換するのでは無くmobi形式に変換することでしおりの同期が行われる。

 mobi形式は、kindleで使用しているファイル形式で、このファイル形式にしておくと、複数端末間でのしおりの同期、文字の拡大縮小などを簡単に行うことができる。

 サイト(例えばhttps://convertio.co/ja/docx-mobi/)でファイルの変換を行うことができるが、ファイルをWebにアップすることになるので、サイト構築会社などにデータが見られる可能性がある。また作成しても本の題名が「Unknown」となってしまい、複数配信すると見分けが付かなくなってしまう。

 

 自分はとあるブログを一気に読みたいと考え、ExcelのWebクエリ機能を使って、1ヶ月分まとめて取得した。Excelからmobi形式に変換することも可能だけど、読みづらくなる可能性が高いのでWord形式に変換している。Excelに出力されたデータをすべて選択し、コピーして、Wordに貼り付けることですべてのデータがWordに表示される。

 ファイルを保存すると上のサイトでアップすることでmobi形式に変換できる。

 

 mobi形式のファイルをkindleへ配信する手段はメールが一番ラクだと思う。メールでの配信を行う場合は、最初に設定を行う必要があり下記に手順を示しておく。

 Amazonのトップページから、「アカウントサービス」をクリックし、「デジタルコンテンツとデバイス」―「コンテンツと端末の管理」を選択する。場合によって、サイインインのために、ログインする必要があるが、ログインすると「コンテンツと端末の管理」画面が表示されるので、「設定」タブを開く。各種設定情報が表示されるので、「パーソナル・ドキュメント設定」の下の各端末の中で「Eメールアドレス」欄が正しく設定されていることを確認する。設定されていない場合は、「編集」からアドレスの編集を行う。また、「承認済みEメールアドレス一覧」に登録されていないメールアドレスからはファイルを受け付けないため、ここに送付元のメールアドレスの追加を行う。ここでのアドレスの登録は迷惑メール排除のためらしい。

 後は、「承認済みEメールアドレス一覧」に記載したメールアドレスから、端末の「Eメールアドレス」欄に記載したアドレスにメールをする。メールをする際に、mobi形式のファイルを添付するだけ。次にKindleを開いたときに自動でダウンロードが行われる。

 これによって、自分の携帯(Kindleアプリ)上の電子書籍と、Kindle Paperwhiteのしおりの同期がとれるので、TPOに応じて携帯、Kindle Paperwhiteを使い分けて同じ本を読み進めることができる。

 

土曜日のお話

 

 秋葉原BOOKOFFへ行った。いつもは新刊の本屋に行くけれど、今回は古い本を探すために古本屋に行った。まずは、俵万智の「百人一酒」(文春文庫)を探す。いまエッセイにはまっていて、文庫本でいくつか見繕って読むものを探していた。

 とある本の巻末にエッセイ一覧が掲載されていてそこで気になったものをメモしておき、片っ端から読んでいった。メモの最後に残ったのがこの本だった。新刊の本屋で探しても見つからなく、ついに中古の本屋でも調べ始めたが、全然見つからなかった。残念ながら今回も見つからず。見つからないとなおさら読んでみたくなる。Amazonでは売っているのでそちらで買ってしまった方がはやいかも?

 次に重松清「ニッポンの課長」を調べた。これは、前に単身赴任の悲哀を描いた「ニッポンの単身赴任」を読んでいて、その流れで読んでみたくなったものだ。おそらく課長の悲哀が書いてあるのだろう(ホントか!?)。これも見つからず。

 最後に探していたのが森博嗣のエッセイ関連。前に読んだ「すべてがEになる I Say Essay Everyday」に衝撃を受けて、ほかのエッセイも読んでみたくなった。残念ながら、このシリーズものが無く、そのまま帰るのも癪だったので、「つぶやきのクリーム」を購入した。

 ほかにCDコーナーも徘徊してみた。最近”fox capture plan”にはまっており、CDコーナーを探してみたが、見つからず。なかなか売っていない。。。

 結局収穫は文庫本1冊で終わってしまった。

 その後は、新刊本を買いに八重洲ブックセンターへ行った。東京駅前だと、前に丸善にノートを買いに行って、店全体の雰囲気の良さを感じたが、今回は行き慣れた八重洲ブックセンターにしてしまった。ここでは、発売されたばかりの新刊本を中心に良い本が無いか回ってみたが、なかなか気に入った本が見つからなかった。毎月購入している技術書を買っておしまい。

 朝からずっと雨が降っており、傘をずっと差していろいろ歩き回った。雨が降っているのに15000歩も歩いてしまった。家に帰った後は疲労困憊。しかし、頭を空っぽにして体を酷使させ、疲れさせることは平日からの意識の切り替えができる良い手段だと思う。

 最後に自宅近くのショッピングセンターでお買い物。100均でオタマ(オタマ一個だけだと味噌汁専用となってしまうため、ほかの料理にオタマが使えないのだ)、計量カップ(なんで今まで無かったんだろう)などを購入。

 台風がやってくるけど、翌日分の食料は購入しなかった。これが最大の間違いだった。

 

弟の結婚式1

 弟の結婚式に参加した。父の葬儀の時に弟から彼女ということで紹介され、その後、結婚したいと話しがあった。実はまだ父が亡くなったばかりで喪に服していたので、喪が明けたらと言っておいた。

 弟は末っ子で自分が小学生のころに生まれている。かなり年の離れた弟というのはかわいいもので、おしめも取り替えたし、保育園に迎えにも行った。保育園で受け取った後は自分の自転車のカゴに入れて自宅まで連れ帰っていた。今考えると結構危険なことをしていたけど、お迎えの帰りに自分の同級生の女子に囲まれてうれしそうにしていたのも昨日のことのようにおぼえている。

 結構女の子にももてていてあまり彼女を切らさないタイプだった。なんと弟は小学校の頃にすでに彼女を作っていた。自分は10歳上で大学生だったのにまだ彼女ができたことも無く、かなり焦った記憶がある。

 自分が社会人になって地元に戻った時には中学生になっていた。数学の成績が悪かったらしく、ヘルプがきて家庭教師みたいなこともした。もともと素質があったので、程なく教えることも無く成績も良くなり、お役御免となった。

 高校生の頃に母を亡くした。弟が生まれた頃から肝臓の調子が悪くなり、国から難病指定ももらうくらいの病気だった。何度も入退院を繰り返して、最後には肝硬変になってしまった。無くなった後から高校卒業するまで父と二人で暮らしていて、結構苦労したようだ。アルバイト先に料理上手な人がいて、その人に料理を教えてもらって、料理ができるようになった。最初は自分が教えたけど、不味かったらしくしばらくして二回目のお役御免となった。

 高校を出て、とある会社に入社した。最初の半年は遠くの研修施設で研修をして、北海道に戻ってきた。仕事は結構大変だったらしく、数年後に公務員試験の勉強を始めて、数度の試験を経て合格してしまった。ハッパをかけるために合格したらパソコンを買ってやると言ってしまい、残念ながら買ってやることになってしまった。今まで大変な仕事をしていたが、公務員になることで少し楽になると思い、兄としても安心していた。

 そんな弟が結婚することになった。結婚相手は、友人の結婚式で出会った同じく公務員。相手はそろそろ結婚相手が欲しくて、公務員が良かったらしい。ちょっと打算的な気もしたが、あまり深く突っ込んではいけないのだろう。

 そんなこんなで、5月の帰省時に家族の顔合わせを行い、あれよあれよで結婚式となってしまった。一番問題なのは父も母も他界しているので、結婚式では自分と妻が親代わりとならないといけないことだ。

 結婚式の話しは続く。

 

 

「持たない幸福論」pha(幻冬舎文庫)

仕事に疲れているとこんな本が心に響く。

 著者のphaは28歳の時に会社員のだるさ、つらさを我慢できず、会社に所属しない人生を選択した。著書の中でも生き方に批判を受けていると書いている。ホームページを見てみたけど、確かに記事のコメント欄でかなり突っ込まれていた。おそらく批判する人は、この生き方を羨んでいるのだと思う。

 自分はただただ才能があると感心してしまい、一本の筋が通っていることにうらやましいと感じてしまう。自分は弱い人間なので本で指摘されているように様々なプレッシャーに負けてしまって生きている。家族を持ってしまったり、仕事を辞められない、仕事をやっていても納期のプレッシャーがあって残業してでもそれに対峙してしまう。

 けれどこんな状態は良いとは思っていなく、今のうちに稼いでおいて貯金し、将来は早めにリタイヤして、のんびりとした生活を送りたいと思っている。

 この本を読んでみるとなんだか穏やか教祖様からジワジワ宗旨を教え込まれている様に感じてしまう。また文体がノンビリとしている事もあり癒される感じがある。おそらく宗旨が中庸だからだと思う。働くことを敵視しているわけで無く、無職の状態が全く悪いとも言わず。バランスの取り方だと言っている。確かにプロと呼ばれるくらいに仕事を極めるのは悪くないが、それによって体を壊してしまったり、その仕事が時代の流れによってつぶしがきかなくなる可能性がある。それよりはバランスをとって、仕事と仕事をしない状態をバランスとをとって生きていきたいと思う。

 

 本を読んでいく中で、紹介している本を後でメモっておこうかと思ったけど、本の最後にブックガイドが載っていた。自分もすごく影響されたジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄――一万三000年にわたる人類史の謎」を取り上げたのも好感が持てる。

森博嗣が凄すぎる

/*宮崎へ日帰り出張。10月中旬なのに真夏の暑さ。南国感がハンパない!*/

 

 森博嗣が凄すぎる。

 「すべてがEになる」を読んだが頭が良すぎる。すべての作品において執筆ペースを自分で決め、ペースを守り、ものすごい速度で仕事を終わらせて行く。しかも、大学の先生が職業であり、作家が副業である。

 それだけでなく、週末には妻とお出かけ、買い物もしており、他にも趣味を持っていて趣味にも手を抜いていない、やって無いのは家事と子育てくらいなものだ。

 このエッセイは、超人的な人間の私生活をのぞき見出来るだけでもお金を払う価値がある。

 しかもプロデュース力の為せる技かも知れないが、もともとはホームページで公開していたものをそのまま本にしているのだけど、付加価値としてマンガを付けてホームページを見ていた人にも買わせるように誘導している。(もっともこの付加価値は編集側の目論見かもしれないが。)

 この日記は1998年にホームページ上で公開されたものだが、この時点でまだまだインターネット自体が認知されたばかりで、今に比べても全然メジャーでは無かった。まだ、ダイアルアップで自宅から接続するのもかなりの電話代が必要だったはず。自分も大学時代に初めてインターネットに出会い、ちょっとずつ学んでいったくらいの頃だ。

 この本ではなかなか時事的な情報が載ることが少ないが、特に12月25日の日記には珍しくニュース番組の取材に答えるという時事的な話が載っている。ここでは「インターネットを通じて青酸カリを送った人がいる」ということをテレビ局の人が言っているが、この一連の流れだけでもこのときのテレビ局の人のインターネットに関する認識の低さが理解できる。

 本当に頭が良い人と仕事をする事が多いけどホトホト頭の良さに感服してしまう。文章が論理的な場合に理系と文系の差という一言で終わらせてしまう人がいるが、ここまでくるとそんな差では説明できない。読者への説得力、言葉遊びなど、なんでそんなことを思いつくのか頭の中を開いてみてみたくなる。(本当は見てみたとしても他の人と対して変わらないだろうけどね…)

 エッセイは何のことはない日常の生活を描いているが、文章の軽快さを持ちつつもいくつかの最低限の決め事があるように見える。人の悪口を書かない、仕事を持ち込まない、暗くなることを書かないなど。

 頭の良さと言うものがどんなものか知るためにも是非一度読んで見てほしい。

 けど、本を買ってまでと思う人はホームページでも日記を毎日アップしているので、そちらでも良いと思う。

役に立たない仕事論

/*マクドナルドで昼飯食べていたら目の前に○○レンジャーの人形が立っていた。子供がおいていったのだろうか?*/

 

 あまり人の役に立たない仕事論を一つ

 「超」がつくくらいの就職氷河期に大学を卒業して、ITバブルを謳歌していた電機メーカーのSE子会社になんとか就職することができた。配属されて最初に出会ったのがプログラムだった。今はほとんど見かけなくなったLotus Dominoを使ったシステムを構築することが目標だった。大学生の頃、CとJavaを使うことがあったが、結局構造体もオブジェクト指向も理解できず大学を卒業してしまった。

 Lotus Dominoの上で専用のプログラミング言語を使って開発を始めたが、全然うまくいかなかった。毎日、毎日、日付が変わるくらいまで残業してプログラムとにらめっこ、土日も出勤してプログラム、それでもバグばかりで全然うまく動かなかった。周りの人からため息をつかれ、心に深い傷を負ったこともあった。あまりにうまくいかないので、何ヶ月も帰宅した後に一人、死ぬことばかり考えていた。

 考えて、考えてやっと出てきた答えがひとまず自分が死んだものとすることだった。自分が死んだと仮定して、そのまま仕事をしていくことで他人のことを考えず、自分のやるべきことをそのまま進めていくことにした。これでやっと精神的な苦痛を和らげることができ、心の平静を取り戻すことができた。

 その後もバグが出続け、安定するまでに時間はかかったけど、なんとか会社に出社できなくなることもなく、死ぬことも無く、病気になること無く、仕事を完了することができた。

 重要なことは仕事をしている周りの人たちをいったん外に置くことだと思う。周りの人たちへの迷惑と、出てくるであろう陰口を考えてしまうと、なかなか前に進むことができなくなる。しかし、本当にダメだったら周りの人たちが何か行動を起こしてくれるはずだ。例えば、プロジェクトから外すとか、会社を辞めさせるとか・・・

 そういうことが無い限り自分を殺して前に進んでいく、死中に活を求めていくやり方だった。あまり人には役に立たないけど一人の人間がうまくいったやり方だとおぼえて欲しい。

 しかし、その後二度とプログラムを作成する仕事は来なかった。なんとか調整役のSEとして食っていけているけど、周りの人たちの配慮の結果なんだろうな~

高校の同窓会には出ないだろう

 高校の頃の同期らしい人からFacebook経由でメッセージが来た。名前は全然知らない人だけど前に同窓会を準備しているらしいホームページを見ていたので、おそらく迷惑メール(メッセージ?)では無いだろう。

 内容は、同窓会の案内を送付したいので住所を教えて欲しいとのこと。住所は教えてあげたけどあまり行く気が起きない。良い思い出が無いからかも知れない。

 高校1年生の時は、同じクラスの友達ができず苦労した。中学校の時通っていた塾でできた友達が別のクラスに居たけど、高校に入ってからはケンカばかりして、結局会話もしなくなった。

 夏休みは友達がいないから、家でゲームばっかりしていた。その後はやっと友達ができ、今度は麻雀にはまってしまった。高校2年生の終わりくらいまで、ずっとやっていて勉強が全然できなくなってしまった。最後の3年生の時にやっとスパートをかけて、大学に合格することができた。

 たぶん、高校より大学の方が良い思い出があったからかも知れない。結局高校生の大きな目的とは、大学に入るための勉強であり、たいしたことをしていなかったからだと思う。大学に入ってから真の勉強を始めることになった。

 大学での勉強というのは知識を獲得するのでは無く、人間関係を学ぶことだったと思う。高校時代の頃は人間関係をあまり考えていなかった。人に対して態度があまりに悪く、不信感を持たせてしまい、仲間はずれ的な感じになってしまったこともあった。

 大学では恋愛感情が混ざり込んできて、どうしてもコミュニケーションを円滑にして相手の人を楽しませなくてはいけないと思うようになった。しかし自分のコミュニケーション能力の少なさから、箸にも棒にもかからない状態だったこともあるし、やっとつきあってもすぐに別れを告げられるなど、痛い目を見て、やっと自分でも学習をするようになり、人並みに近づくことができた。(それでも失敗することは多々あったけど、すべて失敗することは無くなった。)

 あと、高校の頃の友達と今でも遊ぶことが少ないからかも知れない。今でも遊んでいるのは、中学校の頃の友達と年に数回の麻雀、大学の頃の友達とボードゲームや一緒にご飯を食べることくらいで、高校の頃の友達は社会人になって少し遊んでいたけれど、仕事が忙しいときに関係が途切れてしまった。

 知り合いもいないので同窓会に行くことはないかな。