つくば

 大学の頃住んでいた「つくば」には思い出がたくさんある。

 つくば市茨城県の南部に位置しており、その頃の人口が約16万人程度。研究学園都市として、大学や研究所などが数多く設置されている。

 それまで北海道を出たのは、修学旅行くらいしか無かったのに、本格的に北海道を出てそのまま住んでしまうなんて、なんと大それたことをしたのだろうかと思う。

 その頃は本当に実家に居るのがイヤで、外に出て行くことしか考えていなかった。しかも北海道内では無く、道外へ。大学に進学するのは実家を出るためであった。

 大学の寮に入ったらこれがまた楽しくてたまらなかった。ホームシックにかかる人は居るけれど、自分はまったく無縁だった。

 その頃はまだつくばエキスプレスが無く、陸の孤島と呼ばれるくらい交通機関が貧弱だった。東京都内へ行くときは高速バスを使って行くしか無かった。先輩からは数年後にはつくばエキスプレスができて便利になると聞いていたが、自分が大学を卒業するまでには完成しなかった。結局、卒業から4年後に完成した。

 つくば市の中心部には、ペデストリアンという歩行者専用道路が整備されており、サークルで走っていたのを思い出す。あれほど、歩道と自然が一体化しているところはほかの都市には無かった。

 北海道時代は台風が来ることが無かったが、つくばで初めて台風が来たときにはうれしくて傘を持って外に出て台風接近を肌で感じてみたりもした。あと生まれて初めてゴキブリを見て、ちょっと感動してしまった。

 大学構内に寮があり、寮から教室に向かう際の並木道の両側に桜の木が植えられていた。北海道内ではぽつりぽつりとしか咲かない桜が、並木道の両脇に咲いていてなかなか壮観だった。夏はとても暑く、しかも寮にはクーラーが付いていない。逃げ場を探すのが大変だった。仕方なく、コンビニで立ち読みして涼んだりするしか無かった。

 つくばとは、それまで家庭に縛られていた自分を解放し、子供から大人へ変化させていった場所といえる。実家では父親と母親が居て、子供として生活していく、時には反抗することはあったが、だいたいは言われたことを守り従順に過ごしていた。従順に過ごすことで、親に守られていた。子供の頃には必要なことだ。

 一人暮らしをすると言うことは自分で食事を作り、買い物をしなくてはいけない。お金の管理もする必要がある。自立をすることで、大人になっていく。自立を教えてもらったのがつくばだったと思う。

弟の結婚式3とその後

 結婚式は終わったけど、この後は2次会。時間はすでに22:00になっている。子供たちはもうかなり疲れていて、翌日も学芸会が待っている。自分もこれから2時間運転しなくてはいけないというかなり辛い状況だったので、お店に行って乾杯してすぐおいとましてしまった。久しぶりの親戚だったのでゆっくりしたかったが翌日が翌日なので仕方が無い。

 

 後は帰るだけだったけど、最後におばさんのところに行かなくてはいけない。家庭菜園で作った野菜を用意していたらしく、寄っていって欲しいとのこと。毎年、カボチャやタマネギ、イモなどかなりの野菜をもらっている。今年も欲しかったので、かなりの急ぎ足で訪問野菜をもらうだけもらって自宅へ向かった。(もちろん、後日お礼の品は贈っておいた)

 自宅へは高速を利用。工事中はこんなのいるかと思っていたけど、できたらできたでかなり便利。下道だと2時間程度かかるが、高速を利用すると1時間ちょいで付いてしまう。この速さになれてしまうと、なかなか下道を使うことができなくなる。帰宅するともう日付を越えていた。とりあえずダッシュで子供たちを布団に運び、自分たちも就寝。速攻で眠りにつくことができた。

 

 翌日は子供たちの学芸会。

 子供たちは元気いっぱいだったけど、自分がやばかった。朝起きてもまぶたが上がらない。足が上がらない。頭が上がらない。会場まで行ったけど今度はまぶたが重い、体が重い、頭が重い。子供たちの頑張りを間近で見ることができた。生徒の数が少ないせいか子供二人分が終わってもまだ10:30だった。終わった後、家に帰ってから布団に倒れてそのまま寝てしまった。

 

 夜に最終便で単身赴任先へ戻る。前回の最終便は遅延が発生し、日付が変わるくらいの時刻になっていた。前回の反省を踏まえ、月曜日は午前年休を確保。午前中だけだけどゆっくり休むことができた。本当であれば、一日休みたいけど、なかなかうまく調整できないのが悲しいところ。もうちょっと強くなりたい。

 

 毎回思うけど、自宅に帰るときは予定が埋まりすぎていて忙しい。今度はゆっくり帰りたいけど、なかなか難しい。そもそも単身赴任生活も2年経過し、そろそろ自宅から通えるようになりたい。とりあえず今度の年末年始は10日ほど休みを確保し、成人式の祝日をうまく絡めて自宅に長期間帰ることができる。特に3連休は子供たちが泊まりがけでスキー学習に行くので、夫婦2人でゆっくりできる。

 

今週末のお話

1.土曜日

 友人と3人で映画を見に行った。元々はもう一人集まって麻雀をする予定だったが、別の予定ができたので、予定が変更になった。「ブレードランナー 2049」という映画だ。先週の3連休の間に前作を予習しておくつもりだったが、風邪を引いてしまい見ずじまいになってしまった。

 1982年公開のフィリップ・K・ディックSF小説「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」を原作としている「ブレードランナー」を前作としているが、前作を見なくてもだいたい内容を理解することができた。TOHOシネマズ新宿で見たが、TCXという巨大なスクリーンだった。今まで見たことの無い大きさで映像美を楽しむことができた。

 その後、東中野の銭湯へ行く。ここは軟水風呂になっていて、小さなプールがあり泳ぐことができる。今回初めて、熱い風呂から冷たいプールに入ってみた。普通はサウナでやるらしい。2回くらいしか回せなかったが、体がすっきりしたような気がする。また、露天風呂にはラベンダーが入っているらしく良い香りがした。

 元々行く予定をしていなかったため、何も用意していなかった。タオルしかレンタルしていないが、体は手で洗い、風呂を上がった後はタオルで拭くのがなかなか新鮮だ。でも、できればバスタオルで隅々まできれいに拭きたい。

 最後に大盛軒で鉄板麺を食べる。これは、鉄板の上にキャベツを中心とした野菜が乗っかりその上に豚肉、更にすり下ろしのタマネギがある。中心に穴を開けてそこから卵とニンニクを投入する。かき混ぜながら食べると酸味と豚肉、キャベツが混ざり合いご飯との相性がすごく良くご飯が進む。実はこれだけ出なく、ラーメンも付いている。ラーメンは縮れ系の麺だが、スープと良くからみ、これだけでもおいしく食べることができる。おなかいっぱいになった。

 

2.日曜日

 午前中はいつもより早めに行動開始。まずはワイシャツのアイロンがけ、その後は掃除機をかける。終わっても10:00前だった。時間があるので、夏スーツをクリーニング屋に持って行くことにした。持って行く前にポケットのチェックをしていたのだが、ポケットを探っている際にたまたまタグを見て見ると、洗濯可能と書いてある。自宅で洗濯できると安く済ませることができると思い、ほかにも無いかどうか調べてみた。探してみると2着の上下が洗濯可能だった。皺くちゃになってしまわないか不安だったが、思い切ってやってみることにした。(夏スーツなのでダメになっても次のシーズンまでにクリーニングに出し直せば良いし。。。)。もちろん洗濯ネットに入れる必要がある。先日靴を洗ったときのネットがあったのでそれを利用して洗濯をしてみた。結果あまり皺ができていない。干してみると更に皺が減った。今後はこの手で行ってみようと思う。

 午後からは図書館の分室へ行った。最近のお気に入りは「家電批評」。広告を載せずに家電を本気で使い込んでみてレビューをしている。文章からも本気感が伝わってくる。広告を載せないと言っていたような気がするが、今回見た号は表紙裏に広告が載っていた。(あれは何なんだろう?)

 調理家電に興味が湧いてきたが、2~3万くらいするので、もうちょっと待ってみようかと思う。

 

 

細分化の行く末

 自動車保険の細分化が進んでいる。昔は等級による割引しか無かったが、インターネットが一般化してから走る分だけと言う触れ込みであまり走らない人を割引にしている、また40代、50代が割安となる保険が出てきている。

 さらには、自動車の運転の傾向をデータとして採取して、その傾向を元に保険料の割引を行う仕組みがある保険まで出てくるとのこと。

 今までは等級制度がそれを表していたと思う。例えば、走行距離が少ない人は保険等級が次第に上がっていく。また、結果的に無事故の人も等級が上がっていく。しかし、最初は低い等級から始まっていって、無事故を継続していくと等級が上がっていく。

 それが今は最初から割引がかかってしまう。統計的に事故率が低い、走行距離が少ない人、事故率の低い年代を割引にすると言うことは、逆に事故率が高い人(例えば、若い人や、スポーツカーに乗っている人)の保険料が高くなってしまう。

 おそらく今後も事故率が低くなる条件を見つけるたびに割引を行う保険が増えてきて、条件に合致する人は保険料の支払いが少なくなるが、若い人など事故率が高い人はまた一つ車に乗るときのハードルが高くなると思われる。

 これは、車だけで無く生命保険でも同じだ。例えば、たばこを吸わない人が割引になる保険がある。自分もこの保険に加入している。病気になりにくい人の保険料が割引されて、病気になりやすい人の保険料が高くなっていく。

 病気になりやすい人、なりにくい人のデータが集まりやすい状況になってきていて、データが集まることで新たな条件が見つかる。条件によって優位な差が見つかればそれが新たな保険商品になる。

 今までは玉石混交で保険料も同じ水準だったものが、玉と石が分けられていく。これは保険だけに限ったもので無く、果物でも同じことが起きている。

 スーパーの果物売り場には、いま糖度が表示されている。同じ柿でも糖度によって値段が違う。今までは柿であればブランドで価格が違うくらいだったものが、糖度によって値段が変わってくる。今はセンサーでひとつひとつの糖度を測ることができるようになってきていて、糖度によって値段をつけられる。これも玉と石が分けられている事例になる。

 今後も個体によって分かれていくことがすすんで行くと思われる。保険のようにお金がかかりそう(保険支払いが増える)人には保険料を高く、逆の人は保険料を低く、個体単位で決めていくことになる。果物も個体単位で糖度などの条件を元に価値の高いものは価格を高くすることができ、価値の低いものは安くなる。

 

等々力渓谷へ行く

 等々力渓谷に行ってみた。等々力渓谷は谷沢川が武蔵野台地を浸食してできた東京都23区内唯一の渓谷とのこと。

 その日は朝から洗濯していたけど、洗濯物が偏ってしまったらしく、脱水のところでエラーが出てしまった。これが何度位置を調整してもうまくいかず、何度も何度もエラーを出してしまい、思ったより時間をとられてしまった。その後コツをつかみ、完了。やっと10時半頃に家を出発できた。

 

 京葉線りんかい線大井町から東急に乗り換えて等々力駅に到着。駅を降りて2~3分歩いたところにゴルフ橋という小さな橋がある。そこまでは普通の閑静な住宅街なのにゴルフ橋の近くから急に自然豊かになってくる。

 橋の近くに案内板があり、谷底近くの気温が表示されている。今居るところから10m位しか違わないのに気温は3℃ほど下の値を指していた。夏に来ると気温の違いを感じることができるかも知れない。

 

 谷底に降りていくと遊歩道が整備され下流に向かって歩いて行く。木々がうっそうと生い茂り、薄暗い感じになっている。わき水もすごく遊歩道が結構ぬれていて、かつ所々に小川ができている。空気がきれいで深呼吸をすると、気分転換になる。

 祝日の午前中だったけど結構な人の賑わいだった。遊歩道は所々狭いところがあり、すれ違いに苦労するところがあった。

 

 途中に等々力不動尊と言うのがあって、川沿いにほこらみたいなものがある。近くには崖から直接、龍のあたまがにゅっと出ていて口から湧水らしきものが出ていた。近くに階段があり、登っていくと境内がある。ちょっとした展望台があり、渓谷をのぞき込むことができる。川は見えないけど、木々がうっそうと生い茂っている景色を見ることができるこれは東京都内で見ることはなかなかできないと思う。

 

 そのまま遊歩道を進んでいくと最後に日本庭園が出てくる。大名とかが使っていたなど歴史的なものでは無かったが、竹がいくつも生えていて、なかなか勇壮な雰囲気だった。日本庭園は渓谷の崖を利用して造られており、坂道が多かったがなかなか雰囲気を楽しむことができた。

 

 一通り、歩いたところでお昼になったので、そば屋で昼飯。いろいろ悩んで、冷やしタヌキを選び、更にそば屋の玉子焼きを一度頼んでみたかったので、一品料理の玉子焼きも注文してみた。自分的には結構な贅沢をしてしまった。玉子焼きはダシが効いていてかなりおいしかった。

 

 その頃から少しのどが痛かった。帰ってきたら本格的に咳が出てきて、風邪を引いてしまった。せっかくの3連休なのに翌日はほとんど家で寝込む羽目になってしまった。

とある日曜日

 

 朝から雨が降っている。天気予報では台風が近づいて、刺激された前線によって丸一日雨が降るとのこと。そして夜から翌朝にかけて台風の本体がやってくる。

 いつもの日曜日はやることが決まっている。朝ご飯を食べた後はアイロンがけ。前の週は北海道の自宅に戻っていたため、アイロンがけ待ちのワイシャツが1週分余計に増えていた。最初はテレビを見ながらかけていたけどアイロンに集中できなくなり、時間がかかってしまい、いつまでたっても終わらない。テレビだけが消化されていく。仕方が無いので、テレビを止めて音楽を聴きながら集中してなんとか終わらせることができた。

 次は掃除機、家の掃除機は家電レンタルで借りているものでスティック型ものを使っている。サイクロン式と聞くと高そうに聞こえるが、数千円レベルの安いものであまり吸い込みが良くない。これも仕方が無く(2回目)時間をかけてゆっくりと隅々までかけていく。あまり大きい部屋でも無いので、15分くらいで完了。けれど結構動き回っているので、汗をかいてしまう。

 午前中はこの2つで終わってしまった。お昼になるとスパゲティを食べる。前回自宅に戻った際にミラノ風のスパゲティの作り方が書かれたレシピをメモっておいた。このレシピはとある待ちの老舗の洋風レストランのレシピが書かれたものだ。自宅で作ってみたところ自分と妻の間で空前のヒットとなった。「ミラノ風」と書いてあるのに使うのは醤油とみりんだったりする。どこが「ミラノ」なんだろう!

 北海道の時は良く作っていたけど一人暮らしになってから作るのは初めてだけどなかなかうまく作ることができた。

 午後になると、雨がいっそう強くなってきた。いつもであれば外出して買い出しにでも行くのだけどどうも雨のせいで乗り気にならない。結局ずっとドラクエをしていた。

 晩ご飯は鍋の予定だったが肉が無い。買い出しに行かなくてはいけないけどめんどくさい。結局冷蔵庫にあるものだけで作った。かなりしなびたキャベツ。北海道から持ってきたタマネギ、コーンの缶詰があったのでそれも投入した。坦々ごま鍋を作ったけど、やっぱり豚肉とミンチの肉が欲しかった。あれが無いと坦々感が出ない。

 週末に雨が降っていると洗濯物が干せないので部屋の中の湿気がかなり多くなる。げんなりするけど、一日部屋の中にいたのは初めてかも知れない。この前風邪を引いて休んだときにもなぜか外出をしていた。一日部屋にこもるのも良いと思う。

 

弟の結婚式2

 そんなこんなで当日になってしまった。午前中に移動して14:00くらいに会場に入った。妻は留袖を着ることになっていたので先に着付け準備に入った。待っていると親戚がいろいろやってくる。懐かしい顔ばかり、けどしばらく会っていないせいもあり会話も進まず。

 16:00から式のリハーサルのため自分の準備も開始。

 今回着る衣装は、モーニング。弟の結婚式であれば普通は礼服で良いが今回は親代わりの衣装と言うことでモーニングとなった。事前に用意されたレンタルの衣装を着ていく。いつもスーツを着る職業なので、あまり苦になるところは無かった。

 16:00になり、リハーサルが始まる、新郎・新婦とプラス新婦の両親、そして新郎側の家族として娘がリングガール(結婚指輪の運び役)で自分は新郎の父的な立場で参加。教会っぽいところへ向かう。

 教会でバージンロードを進むところから、指輪をつけるところまで一通り、リハーサルを実施。自分は立ったり座ったりするだけ。新郎の父ってこんなもんなんだという感じ。本番もつつがなく終了。

 その後は、新郎新婦と記念撮影をし、次の仕事が始まる。両家の家族親類紹介。今回の結婚式は叔父叔母にも参列してもらっているけど、うちの父母の兄弟が多く、父側で7人兄弟、母側で8人兄弟にもなる。自分の結婚式の時はこの人数を呼ぶのが大変なので、こじんまりと海外で結婚式をしてしまった。わが弟は偉いのですべてに連絡を取り、参加案内を出した。結局15名の親類が参加することになったが、名前をすべて説明しているとど忘れしたときが大変なので、呼び慣れている地名+名字を使って説明することでなんとか乗り切った。

 次は披露宴。最初は新郎新婦の紹介動画が流れる。バックで流れる音楽が中島みゆきの「糸」でこれがなかなか良かった。

 披露宴が始まっていくのだが、なかなかすごかったのが弟の上司による祝辞。挑発をぶっこんできて、上司の凄みを感じた。例えば、今後の家庭生活で新婦から「このハゲ-!」と言われないようにとか、新郎のことをむっつりすけべと言ったり。前もって用意した原稿を元に、少し緊張気味に話している。笑わせたいのであれば、もっと慣れた感じで言わないと。

 祝辞の後は新婦の両親と一緒に、各テーブルの挨拶回りに行く。お父さんと呼びかけられることもあったけどうまくかわしてみた。けどお父さんと呼びかけてきた人は結構気にしていたらしく、後で会話する機会があったときに謝ってきていた。なかなか律儀な人だった。

 最後は、新婦からお父さんへの手紙の朗読。これに新郎側の父的な立場で話しを聞いていたけど、その後サプライズで新婦の父がパラパラマンガを作ってきていて動画にしたものをみんなで見ることになった。新婦の小さい頃からの思い出話が書かれているのだけどもなかなか感動的で泣けてきてしまった。

 最後のお見送りまで頑張ったが、だいぶ疲れてしまった。