「夫の悪夢」藤原美子(文春文庫)

 最近エッセイを読むのにはまっている。

 気づくと読んでいる本の半分以上になってしまうほどである。文庫本だとよく巻末にその文庫の同じ分野の本が紹介されている。たまたま読んだエッセイの巻末の一覧にエッセイの一覧が掲載されていて、興味があるものを抜き出して片っ端から読んでいる。今回の「夫の悪夢」もその抜き出した一冊だった。

 興味を持ったのは、著者の夫である藤原正彦の「国家の品格」、「若き数学者のアメリカ」などを読んでいたからで、このような人の妻だったらさぞかし、毎日が大変なんだろうとぼんやり考えていたからである。さらにタイトルの「夫の悪夢」の悪夢のところで大変さを暗示しているように見えた。

 しかし、読んでみると予想外に夫婦仲、家族愛が文章からにじみ出ていて一気に読み切ってしまった。その読後感もなかなかのものだった。

 特に良かったのは毎年夏に家族全員で信州に行き夏休みを過ごしかたを述べた作品だった。都会から離れ、田舎で野菜を育てる、集中して仕事に取り組めるというところは著者が心の底から楽しんでいるところがその美しい文章の行間からにじみ出ていた。

 このような文章を今頃になって発見するとは自分も本読みとしてまだまだ甘いことを気付かされた一冊だった。

 

「騎士団長殺し」村上春樹

村上春樹の小説には大きな特徴がある。

文章の記述は平易で詳細を極め、読者の興味を引き、目の前に映像を見せるがごとく微に入り細にわたる描写を行っていくが、全体を振り返るとその内容がぼやけ、今まで見せられていた映像が霧で覆われていく。

今回も主人公自身の身の回りに起きたことを中心に細かく細かく書き込んでいくが、それが返って全体を見にくくしている。この詳細と全体のずれが最大の魅力である。

しかし、小説を量産しすぎだろうか、年齢から来るのだろうか、井戸・こびと(のようなもの)など今までのモチーフがほとんど過去の作品で使われたものを流用しており、話の大枠を今までの西洋的なものから東洋的なものに変えただけとなっている。

さらに、伏線で回収していないものがあるので、1Q84の時のように第3部が出版される可能性が高いと個人的に思っている。

大いなるマンネリを見せながらも、ついついページが先に進んでしまう。それは平易な文章でときどきユーモアをぶっ込んでくる村上春樹の魅力なのである。

特に第2部の後半の異世界に入り込んでいるところを読んでいると、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読みたくなってしまう。今までのモチーフを使っているのも過去の作品に目を向けようとしている作者の深謀遠慮なのかもしれない。

そう考えるとこの小説は本当に恐ろしい。

 

「すみだ北斎美術館」に行く

 すみだ北斎美術館墨田区にあり、JR両国駅の近くにある。昨年11月に開館した葛飾北斎の作品を収集した美術館である。
 葛飾北斎は、江戸時代の画家でその生涯のほとんどを墨田区内で過ごしており、区民の誇りとしてその作品を収集し、公開を行っている。
 場所は両国駅から歩いて10分くらいのところにある。公園が併設されており、その中には遊具もあり、たくさんの子供たちが体を動かして遊んでいた。また、移動販売もいて近所の人の憩いの場のようになっていた。公園の奥に美術館があるが、新築と言うこともあり、シルバーの外観が光り輝いているように見えた。遠くで見ても近くで見てもかなり存在感がある建物だった。

 昨晩から翌日の予定が無いことはわかっていたが朝起きてから考えることとして眠ってしまった。朝起きたときにふと頭に湧いたのが北斎美術館である。特に前々から行くことにしていなかったのだが朝起きたときの気分が北斎だったと言うくらい軽い気持ちだった。

 行った時期には特別展が開催されており、「すみだ北斎美術館を支えるコレクター-ピーター・モースと楢﨑宗重 二大コレクション-」が開催されていた。常設展と特別展を両方見ると1000円かかる。

 特別展で特に記憶に残っているのは「地方測量之図」というものである、少し前に伊能忠敬記念館に行き、測量の行い方、大変さを見てきたからだろうか。絵の中の測量の作法、仕草の一つ一つを道具と重ね合わせながら見ていき、当時の測量に思いをはせた。

 常設展では、葛飾北斎の幼少期から死までの生涯をそれぞれの世代に区分し、その時期の作品と併せて紹介していた。特に印象に残っているのは滝沢馬琴との丁々発止のやりとりと思われるところ。滝沢馬琴の作品の挿絵を描いていたが、作品の内容に忠実に書かず、自分の作品として挿絵を描いていたことが印象的だった。

家族で阿寒湖へ行ったが大変なことになった

家族で阿寒湖へ行って、遊んだが大変なことになったのでそのお話。書き出してみると結構な大作になってしまった。

1.家族で阿寒湖へ

久々に自宅に帰ることになり、みんなでどこかに出かけようという話になった。3連休ではあるが、ほかに予定もあるので、近場の温泉ということで「鶴雅ウイングス」に一泊することになった。鶴雅ウイングスは北海道釧路市の阿寒湖のほとりにあるホテルで、元々は鶴雅本体の隣にあるライバルホテルだったが、休館となったため鶴雅が買い取り、改装して鶴雅ウイングスとして開業したものである。値段は鶴雅本体よりリーズナブルで、利用しやすい。また、鶴雅とつながっているため、温泉も鶴雅本体の方に入りに行くことができる。

阿寒湖はまりもが有名な湖で、冬になると結氷した湖の上で「あいすランド阿寒」が開催されており、我が家も毎年のように遊びに行っている。

 

2.ワカサギ引っかけ釣り

一番楽しみなのがワカサギの引っかけ釣り。行ったら必ず釣っている。

結氷した湖の上で氷を掘って水槽を作りその中に大量のワカサギが放流されている。テントで覆われており、中は暖房もあり真冬でも外ほど寒くなく、釣りをすることができる。

40~50センチくらいの小さな釣り竿はその先にフックのついた針がつけてある。その釣り竿を水槽の中に入れて思いっきり引っ張り、ワカサギを引っかけて釣るのである。これがやめれらなくて毎年来ると真っ先に始めてしまうのである。

今までは子供たちも小さかったので、子供の釣り上げたワカサギを袋に入れたりサポート側に回ることが多く自分の釣りに集中することができなかった。

去年くらいからか子供がだいぶ自分でできるようになり、自分のサポートの必要が減ってきた。やっと自分の釣りに集中することができるようになった。

 

3.ひっかけ釣りのコツ

引っかけ釣りのコツはワカサギが集中しているところを探し出し、密集状態を維持したまま釣り糸を下ろしていく。一番下まで降りたところから一気に引き上げることである。同じところでやっているとだんだんワカサギが逃げていくので、新たにできた密集地で同じように釣り糸を落としていくことである。たまに斜めに引っ張るなど変化を持たせることも重要である。

 

4.釣った後は天ぷらに

釣ったワカサギは持ち帰ることができる。近くの定食屋(らしきもの)に持って行くと天ぷらにしてくれる。料金はグラム数に応じて支払う必要がある。

いつもは天ぷらを持ち帰りして車の中で食べていたが、今回はその後も周りで遊ぶことになっており、そのまま宿泊することになっていたので、そのまま食べることとした。

10分くらいで揚がり塩を振って家族みんなで食べる。

衣はサクサク、中身はしっかり、ワカサギの食感がよく、いくらでも食べられるような気がした。しかし、今回は4人で釣ったせいか量が多く途中で胃がもたれてきた。(この胃もたれが後で大変なことになった。)

 

5.ボッケへ

ワカサギを食べた後は腹ごなしも兼ねて散歩へ行った。

まずは阿寒湖畔エコミュージアムセンターを見学。その後にボッケを見に行く。センターから山の中、雪道を歩くこと5分。それまで地面は見事に雪に覆われていたのだが、所々地面が見えるところが出てきた。柵に囲われた部分があり、その中にボッケと呼ばれる泥火山が見えてくる。

ボッケの周りは雪が無く、湯気が立ちこめている。大部分が泥で覆われている沼が見えポコポコ泥がわき出ている。わき出ている部分の周りは泥の層ができており、積み重なった文様が表れる。なんとも世紀末を思わせる不思議な空間であった。

ほかにも雪に覆われていない地面がむき出しになっているところがある。これは地面が暖かくなっているため、雪が残らないようだ。冬なのにコオロギが生息していた。生息地には囲い柵が設置されており、入れないが近くで耳をそばだてると静寂の中にコオロギの鳴声が聞こえてくる。またまた不思議な空間がそこにあった。

 

6.ついに胃が・・・

その後、ホテルに行き、息子と温泉に入ったり、部屋でまったりしていたが、胃もたれはずっと続いていた。

晩ご飯はバイキング形式で、本当はいっぱい食べたかったのだが、ずっと続いている胃もたれのせいで、セーブ気味となった。食後も調子が悪いままで21時過ぎに子供たちと一緒に寝てしまった。

夜中0時くらい、胃もたれが危険な状態になりトイレへ駆け込んだ。トイレでは上から下から大変なことになり、トイレに立てこもる事態となってしまった。

しばらくして落ち着いて布団に戻るが、しばらくするとまた胃がやばい状態となり、トイレに駆け込む。何度も何度も、同じことを朝まで繰り返すこととなった。

朝ご飯は全く食べられず、本当は娘の部活動を見学する予定だったが、自宅に強制送還となり、療養することになった。

「秒速5センチメートル」(新海誠)

夜中にテレビでやっていたので録画して見た。

この物語は小学校時代からの成長を通してある一組の男女の交わりと交われなかったものを美しい風景・音楽で展開させていく。

最初は小・中学生だろう。都会で2人のつながりが生まれる。

都会・田舎の風景を対比的に描く。都会ではビルの風景として書いたものを田舎では雪とその他何もない風景を描き出し、電車の外観では都会のものは最新車両として明るい外観を、田舎の電車は古く暗く登場させる。更に電車の車内の風景は田舎独特のドアを閉めるボタンを登場させる。

ありふれているけれども、みずみずしい男女のつながりを全面に押し出している。

最後の部分は、主人公のかなり残念な部分が出てしまうが、事前の情報ほど鬱展開ではなく、このような終わり方も良いとは個人的に思う。

というのは世の中は良くあるドラマや映画のようにハッピーエンドで終わることは無く、傷を抱えて生きる人がいると言うこともまた事実だからである。

 

昔行った図書館のおはなし

小さい頃、中学生の頃だろうか。

本を読めば知識を得て、世の中のすべての問題をうまく解決できると感じていた。片っ端から本を読んでいたが、学校の図書室へいくと大量の本があり、本屋へ行くとまた大量の本があり、町の図書館へ行くと更に多くの本が、まるで多くの木が生い茂っているジャングルのように、整然ではあるが並んでいた。

来る日も来る日も本を読み進めていったが、終わりは無かった。それは象に対して爪楊枝一本で戦うかのように無意味で終わりが無いことを少しも考えていなかった当時の自分がとても悲しい。

しかし、図書館に行くことは楽しく、よく母親の運転する中古のオンボロ軽自動車に同乗しては、本のジャングルの中をさまよっていた。それは北海道の小さな小さな図書館。北海道であることを最大限に生かし、一階だけでその図書館のすべての本をそろえられていた。

建物に入ると夏でもひんやりしていた。入り口には水槽があり、金魚がまじめに泳いでいた。

中学校を卒業するくらいにやっと自分の考えていることをアホらしいことに気づいたが、それでも読書はやめなかった。それは文章の楽しさに気づいたからである。

当時ほどでは無いが、今でも本はやめられない。

 

 

 

花粉症になってしまった

大学生の時以外はほとんど杉の無いところに住んでいいたのに関東に再び来たとたんに花粉症になってしまった。

花粉症はつらい。至る所で鼻をかみたくなる。ティッシュが手放せない。鼻をかんでばかりいると鼻が赤くなる。鼻が赤くなるとほんとに酔ったおっさんになってしまう。

特に厳しいのが寝不足。夜中にくしゃみと鼻水で起きてしまう。再び眠れるときは良いが眠れないまま朝を迎えてしまうと大変なことになる。

日中に退屈な会議があると強烈な睡魔とエンカウントし、そして敗北してしまう。ゲームオーバー。

せっかくの春なのに外に出れないのがつらい。晴れた日は外に出て日光浴も兼ねて散歩したいのにくしゃみ、鼻水のことを考えると外に出られない。

それにしても大学の時は問題なかったのに去年単身赴任してからすぐに発症したのはなぜなんだろう。昨年1月に単身赴任が始まってから2月の終わりにはもうくしゃみばかりしていた。最初は風邪でも引いたのかと思ったら、4月終わりまでそのままだった。

年齢の問題なのか、花粉の量の問題なのだろうか。

確かに大学の頃(20年も前だ!)より、最近の方が花粉の量が増えているという話もある。今後もしばらくは花粉の供給量が多い状態のままらしい。やっぱり杉の無い地元に戻るしかなさそうな気がする。。。