今週の日記

とあるフードコートで作業をすることになった。
パソコンを使うのであまり後ろを見られたくない。
アイスコーヒーとつまめるものを購入して、一番後ろの一つ手前の席に座った。一番後ろでも良かったのだけれど、誰もいなかったので大丈夫だと思ってしまった。
しかし、次に来たおばあちゃんがあっさりと自分の後ろの席に座ってしまった。
おばあちゃん、なかなかやるな。
仕方がないので画面をかなり暗くして作業することにした。

それにしても一日で7時間も乗り物に乗るのは辛い。翌日以降への影響が半端なかった。
寝ると疲れが取れるけれども、出張でホテルだと朝早く起きてしまう。なかなか睡眠不足を解消することができない。
自宅に帰って週末を過ごしていても疲れが取れず、土曜日は2時間も昼寝をしてしまった。

マクドナルドでコーヒーを飲みながら本を読んでいたら娘からチョコパイをねだられた。
高校生ともなると色々要求が増えてめんどくさくなる。

かぼちゃのコロッケ

妻が友人からかぼちゃをもらったので、コロッケにした。
皮が硬いので包丁で切り落とす。帰ってきた娘も途中から参戦し、二人で切り落とす。
切り落としたあとに鍋に入れひたひたになるくらいの水を注ぐ。茹でている間に、ひき肉と玉ねぎを炒めたものと混ぜる。
妻が成形して小麦粉をつける。卵をくぐらせ、パン粉をまぶすのは自分。揚げるのは娘がやってくれた。じゃがいもで作る場合と違って柔らかいので、繊細に扱う必要がある。
息子がお皿、箸の用意をする。家族みんなで食べる。
いつもは娘が部活でいないことが多いが、久しぶりにみんなで食卓を囲む。

作ったかぼちゃを美味しかったと友人に伝えたら、更に分けてくれた。
その人は親戚から50個ももらって余らしているらしい。
今度はかぼちゃ団子かな。

「司馬遼太郎」で学ぶ日本史 磯田道史著

 司馬遼太郎の小説は坂の上の雲翔ぶが如く花神など主要なものは読んできた。一時期盛んに言われていた司馬史観というのが自分の中でしっくりと来ていなかった。
 小説と言うのはたとえ歴史小説であれ、創作物なのであって、学術的な意味合いは持っていない。面白さを優先しているので、正確性は二の次というのを知っているから、それを学者が「史観」という大きな流れとして捉えることに抵抗があった。
 磯田さんはその史観を最初に説明することで、司馬遼太郎を真正面から論じているのは好感を持った。
 そこから各作品を取り上げていくのだが、やはり避けて通れないのが、昭和である。
 どうしても書けなかった昭和をナショナリズムパトリオティズム、ドイツへの傾斜、そして統帥権をカギとして推理していく。この本の一番語りたかった部分のように見えた。
 司馬遼太郎の読者であれば持つ史観、昭和に対して真正面から取り組んだ好著だった。

出張で焦る


車で出張して、2回ほどぶつかりそうになる。
出張先がかなり雪深いところで路面がツルッツルだった。ボーリングのレーンくらいだろうか。
1回目は橋のたもと、坂道を降りるとき。前のクルマが停止したので、こちらもブレーキをかけたところ、ぜんぜん止まらない。もう少し前はロードヒーティングしてるのに、なんでここはしてないのかすごい不思議なくらい勾配があった。
焦って目一杯踏み込んだ。ブレーキを踏み込んでいるとABSという自動でブレーキの効きを良くしてくれる機能が働いてくれる。それのおかげでなんとか前のクルマにぶつからず停車出来た。冷や汗かきまくりだった。

2回目は普通の道で起きた。横道から無理やり入ってこようとしたクルマにぶつかりそうになりブレーキをかけた。これがまたぜんぜん止まらない。かなりテンパっていたのか、床を踏み抜くくらいの力をかけてしまった。そんなに踏み込まなくてもABSは効くのに。なんとかスレスレのところをクルマが横切ってくれてことなきを得た。
ラクションをかける余裕も無かった。

雪道は嫌いだ!

レタリングとは?

 週刊新潮を見ていたら「レタリング」という言葉が目に飛び込んできた。
 「それでも日々はつづくから」という連載のとある方の肩書として表示されている。レタリングは職業の一種なのはわかったが、この1ページの連載のどこの部分を担当しているかわからない。
 とりあえずGoogleで検索するとwikipediaで「文字を書く」とあり、それだったら作者の名前が大きく出ているので違うと思い、検索結果の一覧をざっとみても同じようなことしか書いていない。
 もう少し調べるために前回の連載箇所を見たら右上に書かれているサブタイトルが違っていて、手書きの文字だった。
 このサブタイトルを手書きで書いているのがレタリングと書かれている人の担当だとわかると同時に世の中にはまだ知らない職業があるのを知ることができた。
 それ以上にwikipediaに掲載されている「文字を書く」と言うのは正しかったことに驚いた。

九年母ってなに?

感染症の日本史(磯田道史)の75ページで江戸時代後期に麻疹が流行した時に果物の価格が高騰した話が紹介されている。
みかん、梨とならんで九年母という果物が紹介されていた。なんだろうと思ってしらべてみたら、沖縄の柑橘類だった。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%8D%E3%83%B3%E3%83%9C
徳川家康が九年母が好きだと書かれていて食べたくなった。
ただ、残念ながら今はあまり栽培されていないらしい。

それにしても最近柑橘系の果物はあまり見なくなってしまった。
昔はグレープフルーツ、オレンジなど食べていたけど、今はみかんくらいしか買わなくなった。
みかんだって子供の頃は家の涼しいところに箱でドーンとおいてあったのに、今は小さな袋に入っているものを冷蔵庫に入れている。
最近のスーパーの果物売り場では糖度を表示していることもあるくらい甘さにこだわっている。柑橘系で甘いのはみかんくらいかな。他は甘くできないのだろうか。

喫茶店で本を読みながら

 2日連続で、大通りの喫茶店に行く。外は雪も降らず日が差している。

 昨日と同じく二階に上がり窓際の席でコーヒーを飲む。目の前の大通公園では雪まつりに向けて雪像を制作している。

 夕方の少し薄暗いタイミングのせいか、それとも周りも白いせいか、雪像もぼんやりとしか見えない。日が落ちる頃には制作する人は誰もいなくなったが、今度は観光客らしき大きなキャリーバッグを持った人が雪像の前を通る。見るだけではなく写真も撮っているようだ。

 

 この時間帯の喫茶店は混んでいる。右側には勉強をしている二人組の男の子。脇においてあるスマホでは動画が流れている。これでは勉強は進まないだろう。30分程したら仲良く帰っていった。

 左側は1人で勉強しているが、こちらもずっとスマホをいじっていた。しばらくすると電話がかかってきた。「〇〇に向かっているところ」と説明していたが、どう見ても向かっているようには見えない。電話が終わるとすぐに店を出た。

 喫茶店で本を読みながら周りを観察するのはなかなかおもしろい。